« シギショアラからベオグラードへ( in ルーマニア) | トップページ | ティミショアラ(ルーマニア)からベオグラード(セルビア)へ »

2013年9月19日 (木)

シギショアラからティミショアラへ( in ルーマニア)

昨夜22:34シギシショアラ発→今朝5:20Arad着・乗り換え、同6:18発→ティミショアラ9:20着→駅前ホステル

昨日、シギショアラ駅ですごい人に会った。

001ホステルを10時ごろチェックアウトして、町のカフェで朝食をした後、12時頃シギショアラ駅へ行った。でも、列車は夜の10時34分発で、時間はものすごくある。

駅の待合室の窓のところで、半乾きの洗濯物を干して、ボーツとしていたら、日本語で、「何してますか?」。

声の主は、どう見ても日本人じゃない。民族衣装の帽子、茶色でモジャモジャのあごひげ。ハンサムな顔に丸いメガネの奥の青い目は、賢そうな感じ。バックパックを背負っていた。

お互い自己紹介し合ったところ、その人は、そこから30キロほど離れた、オドヘイユという町に住んでいる人で、これから電車でトルコを抜けてイラクに旅行するという。

「ルーマニア人でしょ?」と聞いたら違うという。「でも、ルーマニアのパスポート持っているじゃん?」と言ったら、ルーマニアの歴史について説明してくれた。

「シギショアラやブラショフのある一帯はトランシルヴァニアと言って、戦争の前はハンガリーだった場所。ここには、今も昔もハンガリー人とジプシー(ロマ人)が住んでいるだけで、ルーマニア人なんてのはいない。ルーマニアがこのあたりを領土にしただけで、ここに住んでいる人は誰も自分たちのことをルーマニア人だと思っていない。日本の北方領土と同じです」

これ全部日本語での会話です。日本人かと思うほど流暢な日本語。というのも、この人は過去に日本(名古屋)に4年間住んでいて、もう離婚したけど、日本人の奥さんとの間に子供もいるそうで、学生服を着た男の子の写真を見せてくれた。

日本では、主に英会話学校の先生をしていたそうです。なんとこの人、20数か国語を操るそうで、英語でも少し会話しましたが、きれいな英語を喋る。

この人は乗換でこの駅にやってきたんですが、電車が来るまでの2時間あまり、駅の待合室のベンチで私と会話。

ルーマニアの歴史、現状、中欧のこと、トルコ、中東のことなど、いろいろ教えてくれた。

ルーマニアでは平均月収は2万円ぐらいで、良くても3万円ぐらいだそうですが、ジプシーの人たちの生活はそんなに収入はなく、ものすごく貧乏だそうです。この話をしている最中もジプシーの親子が何人も物乞いに来ました。
日本で英会話講師をしていた時の彼の日給は1万円だったそうで、それに比べるとここで働くのは大変だそうです。

じゃあまた日本で働けば?と聞いたら、こっちへ帰ってきて、再婚して子供ができてまた離婚して、いろいろなしがらみがあって、なかなかそうもいかないそうです。

この人の年齢は40代で、ルーマニアでは新聞に記事を書いたり、通訳や翻訳、俳優など、いろんな仕事をしているそうです。本も80冊以上出版。映画にも何本か出ているそうで、HP、Facebook、メールアドレスなども教えてくれた。

これからワシが行く中東の情報もたくさんもらった。
例えば、コソボへ先に行って後でセルビアへ行くと入れてもらえない時があるとか、イスラエルのスタンプがパスポートにあるとアラブの国では問題になることがあるので最後に行け、などなど。

でも、なにが一番感動したかというと、この人の生き方。
この人は基本的に「旅こそわが人生」「コスモポリタンな学者肌エグザイル」な人なんです。
自分が興味のあることをしてずっと生きてきて、いろんな国を旅してきた。その国の歴史や文化をよく勉強していて、その上そこの言葉も学ぶ。チャンスがあればそこで仕事もする。あ、話が取り留めなくて申し訳ないですが、ワシ、日本語の翻訳の仕事をしないかと誘われました。この人はハンガリーの木造住宅の販売も手掛けていて、日本にも売りたいけど、漢字が得意ではないので、翻訳をやらないか?というんです。旅をしながらできる量だからと言って、連絡先の会社のカードと家のパンフをくれた。ハンガリー(ルーマニア)の木を日本まで運んで建てても、400万ぐらいで建つというんです。

中欧、中東、トルコの観光地をワシの地図に印を打って、ここはきれいだから行くべき、ここは行ってはいけないと、目を輝かせながら、たくさん教えてくれた。

でも一番心に残ったのは

「僕はやりたいことをやってきたので、お金や財産というものはない。でも、たくさん旅をしたことが財産で、それはここに持っている」

そう言って、左の胸をポンと叩いた。シビれた~。

そして列車の時間が来ると、「もう行くよ。元気でね~」と言って去っていった。
彼はこれから3ヶ月、テントに泊まりながらイラクの北のエリアを、クルド語を学びながら旅するそうです。

あ~、びっくりした~。一体あの人は何だったんだろうか。

それにしても、ワシの旅はあの人に比べたら浅い。その国の歴史も知らず、土地の人との会話といってもホステルの受付の人ぐらい、それも相手が英語を話せないとお手上げ。
レストランでビール飲んで、きれいな観光名所だけ見て通りすぎる。これではあかんな~。
かといって歴史を調べたりするのは本末転倒で、歴史やその国のことを知って興味があるからこそそこへ行きたいワケで・・・。
ま、いいか。

014夜行列車の中。寝台は売り切れ。最近、こんな列車でも眠れるようになった自分が怖い。
017Aradで乗り換え。乗り換え列車が一時間近く遅れて到着。むっちゃ寒いです。

025そして乗った列車は結局2時間遅れでティミショアラへ到着。
ルーマニアではダイヤ通りに旅はできない。

032ティミショアラ駅は雨。コロコロを転がして旅する人は雨の日のことを考えて、カバーを用意するといいかも。

030ベオグラード行きの二等を買ったら、一か月間有効で、いつどの電車に乗っていってもいいと言う。国境を超える国際列車がそんなええかげんなの?

ティミショアラからベオグラード行きは一日二本。

朝  7時30分発→11時半ごろ着

夕方 16時21分発→20時半ごろ着

はっきりしたことはわかりませんが、駅の時刻表の表示が VRSAC行きになっていたので、セルビアのVRSACでパスポートチェックもしくは乗り換えかも。

外は雨。このまま夕方まで待って、一気にベオグラードへ行こうと待合室へ行って少し待ったが、寝てしまった。
これではとても夕方までここにいるガッツはないと判断。昨日 Wikitravel で調べておいた駅前ホステルで泊まることにした。

034
今日は雨なので、ホステルでブログ書いてゆっくりして、ぐっすり寝て明日ベオグラードへ移動予定。

一旦公開のあと追記

ブログを書き終わって外を見たら快晴。体力も回復。
ダウンロードした Wikitravel 頼りに町へ。

003立派な教会や、

008オペラ座、

015そしてすばらしい広場まである。
テントは、ここから200kほど離れた町に政府が金鉱山の開発を予定していて、その製錬の際に使用される有害物質の使用に反対するための泊まり込みだそうです。

014立派なツーリストインフォメーションもあって、洗練された街でした。

あやうく見逃すところだった~。

今日の宿  Hostel Nord シングル2200円。

気軽にコメントしてね~。

↓ クリックも頼むよ~。

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

« シギショアラからベオグラードへ( in ルーマニア) | トップページ | ティミショアラ(ルーマニア)からベオグラード(セルビア)へ »

26ルーマニア」カテゴリの記事

コメント

運命ですか⁈
翻訳しながら旅が出来たらイイですね。
ますますワシの旅面白くなってきました。

暫くご無沙汰したけど、まだルーマニアですね?

この先生はハンガリー人??
ヨーロッパは全てが適当に国境線引いて、昔からあったような顔しているだけですよね?
でも、ルーマニアはロマ人の国と誤解していました。ローマ人の国と言う意味なんですね!

拓さんが気に入っている建物は、ドイツ人が作ったんでは??

emiliaさん、ヨッシーさん、コメントありがとうございます。

翻訳をやりながらは無理です~。ブログ書くだけでアップアップです。ブログを精一杯書かせていただきます。

この人はルーマニアに生まれたハンガリー人の子孫らしいです。
歴史的なことはよくわかりません。知ってなきゃいけないんでしょうが・・・・。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: シギショアラからティミショアラへ( in ルーマニア):

« シギショアラからベオグラードへ( in ルーマニア) | トップページ | ティミショアラ(ルーマニア)からベオグラード(セルビア)へ »

カテゴリー

無料ブログはココログ