セイラー・ボブ・アダムソン⑨(メルボルン)
万物は一つのもの。
インドに伝わるヒンズー教哲学、アドヴァイタ(非二限論)によれば、万物は、「他に何もない一つのもの」(one without a second)であると説く。
チベット仏教の最高の教えゾクチェンでは、万物は「空」の中に現れ、それを「空間的意識」「認識する空」などの表現で呼ぶ。
ボブはこの二つの教えを引用して説明するが、どちらも同じことを別の表現で言っているにすぎない。
何もない空間に現れているかのように見える万物は一体何なのか。
それは質量や体積がある物質ではありません。何もない空。そこには何があるのか。
概念では決してとらえられないもの。言葉では言い表せない何か。
ボブはそれを便宜上いくつかの言葉で表現します。
pure intelligence energy(純粋な知性エネルギー)、pure awareness(純粋な気づき)、それ。他に、awarenessやintelligenceとだけ言う場合もあるし、その他の多様な言い回しで言う時ももある。
ただし、ボブは、神という言葉を使いません。神という言葉は、様々な人たちが、様々な意味に用いているために、勝手な解釈、先入観が入る余地があるからだそうです。
私はある時ボブに質問しました。
私「あなたは、万物はすべて一つのものだと言う。あなたはそれを純粋なる知性エネルギーそのものだと言う。それは言葉で表すこともできず、触ることも見ることもできない。だとしたら、一体それはどこにあるのでしょうか。私は長い間、それを探してきました」
ボブ「目を閉じて、タク、タク、タクと自分の名前を何度も繰り返してごらん」
私「タク、タク、タク、タク、タク・・・」
ボブ「Full Stop!」(ピリオド!全停止!)
私「・・・」
ボブ「タクと言うのを止めたその瞬間、思考はあったかな?」
私「思考は止まっていましたが、またすぐに戻ってきました」
ボブ「その思考が無かったほんのわずかの瞬間、あなたは、心臓の鼓動を止めたかい?呼吸するのを止めたかい?あなたの思考はなかったにもかかわらず、心臓を鼓動させ、呼吸をさせている何者かがいる。そこにあなたが探し求めているものがある。それがそれだ。そこには、思考はなく、純粋な気づきだけがある。その同じものが万物として現れ、同じように星を動かしている。」
私は、別のマスターの瞑想で、思考の無い状態を、それこそ毎日のように経験してきた。でもそれが私が求めているものだと教えてくれたのはボブが初めてだった。
神はそこにいた。私の探し求めていたものはそこにあった。気づかないだけで、いつもいつも私と一緒にあった。
宿で一晩寝たら、(だけど、どうしてそれが純粋なる知性エネルギーだとわかるんだ?)と疑問が湧いてきて、また別の日に聞いた。
私「あなたの言っているそれが、どこにあるのかわかりました。でもどうしてそれが純粋なる知性エネルギーだとわかるんですか?」
ボブ「自分でよく考えてごらん。あれでもない、これでもない。そうやって一つ一つ消していくと、最後にはそれしか残らない。それ以外に考えようがないじゃないか」
ボブは、私たちは皆、純粋なる知性エネルギーを知っていると言います。それどころか、私たちはそのものだと言う。それは、今日書いた、Full Stop!の実験をするだけで、簡単に垣間見ることができる。そしてそれを見えなくしているのが私たちの思考や条件付け(参照点)。その思考や条件付けゆえに悩みや問題が発生する。
私が長年探し求めていたエンライトメント(覚醒)は、いつも私とともにあった。気づかなかっただけで、私はもうそれだった。たくさんのマスターが、もったいぶって手が届かないものかのように語っていたことは、こんなにもシンプルなことだった。ボブが初めて種明かしをしてくれた。
覚醒した人には思考がないのかと言えばそうじゃない。覚醒した人だって、考え事もするし、思考が勝手にやってくる時もある。じゃあ、覚醒した人と普通の人は何が違うのか?それはまた別の日に書きます。
ボブは太陽の例え話をよくします。知性エネルギーは太陽のようにいつも光り輝いている。しかし、思考という雲がやってきて、それを見えなくしてしまう。
太陽はどこへ消えたわけでもなく、雲の向こうでいつも輝いている。
2015.3.10追記
"Trying to grasp the oneness is a trap - let the one go."
一つの物を理解しょうというのは罠だ- そのままにしておきなさい。(A sprinkle of Jewels p84より)
マインドは、際限なく、疑問や疑いを生み出してくる。思考でなんとか答えをみつけようとして、やっと答えをみつけたと思っても、狡猾にまた別の疑問を見つけ出す。それに対するボブの答えはこうだ。
"The answer is not in the mind."(答えはマインドの中にはない)
小さな種が地上に落ちて芽を出し、それが年月とともに成長し、大きな木となる。私たちは、その奇跡を当たり前のこととして受け止めているが、その木を成長させている目に見えない力の正体を知らない。
いくつもの惑星が宇宙をめぐり、太陽はいつも輝き、銀河が生まれては消えているが、その巨大な力の正体を私たちは知らない。
夜、密林の奥で、美しい黄金の毛並をまとって潜んでいる虎の目に宿っているものの正体を私たちは知らない。
私が眠っている間、片時も休まずに呼吸をさせ、心臓を鼓動をさせているものの正体を私たちは知らない。
そこには、たった一つの同じエネルギーが働いている。それをボブは知性エネルギーと呼ぶ。ボブは「神」という言葉を使わないが、その方がわかりやすい人は、神と呼んでもいい。そこには、それをつかさどる何者かがいる。
2015.4.2追記
ボブが「知性エネルギー」を説明する時、風の例えをよく使う。風というものを知らない人に、風を説明しようとしても理解してもらえない。ところが、枝を風が揺らす様子を見たり、吹いている風の中に立てば、そこに風が吹いているということを容易に理解できる。「純粋な知性エネルギー」もそれと同じで、見ることも理解することもできないもの。実際に風を感じて理解するしかない。
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最終的には無ってことなんですかね。1つ1つ消していった後に何もない、それがあなただ、て。一理ありますけど、ぼくたちは人を好きになったり、女を抱きたくなったり、話をしたくなったりするって楽しみを否定してしまうと、おかしくなりませんかね?ぼくたちは自分たちを俗世に引きずり込んでいかないと、もうこの世にいられない感じもするんですよね。
投稿: たいら | 2015年1月19日 (月) 06時16分