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2015年1月22日 (木)

セイラー・ボブ・アダムソン⑮(メルボルン)

あなたが選択したことなど一度もなかった。

私たちは、自分の人生を自分で生きてきたと考えています。どの学校へ行くかを自分で選択し、仕事を自分で選んで職に就き、恋人を自分で選んで恋に落ち、家庭を築いたと考えています。

ところが、ボブの教えでは、そもそもその自分という存在が幻影であるという。じゃあ一体誰が学校を選び、誰が仕事を選んだのか。恋人を選んだのは誰なのか。

誰でもありません。すべては起こるべくして自然に起こったのです。
あなたは、自分があれこれ選択して人生を生きてきたと思っているが、果たしてそうでしょうか。

あなたは両親を選んで生まれてきましたか?あなたが選んだ仕事はあなたの選択ですか?
あなたに自由裁量権はありません。それは自分で選んでいるかのように見えるかもしれませんが、あなたの選択ではありません。

そもそも、その選択肢は誰が用意したのですか?
自由な選択が許されているなら、もっと別の仕事や、別のパートナーを選んでいたのではありませんか?

呼吸の一回、鼓動の一回だって、あなたの意志でやったことなどありません。
すべては自然に起こるべくして起こって、すべては完璧で、何の問題もありません。
勝手な参照点を作って困っているのは、幻影の私自身です。

すべては「純粋なる知性エネルギー」が、あなという幻影を通して表現しているだけのことにすぎません。
私たちは、自分で生きていると思っていますが、実は生かされているにすぎません。

起こるべきことは、あなたが努力しようがしまいが、避けようが避けまいが、起こるべくして起こるのです。
だとしたら、何を心配する必要がありましょうか?

ボブの教えを学ぶと、生き方がシンプルになって、とっても楽になります。
後悔する過去はなく、憂うべき未来もない。あるのはこの瞬間だけ。

これは、何かに向けて努力をしなくてもいいとか、場当たり的刹那的に生きろということではありません。
努力や準備が必要な時には、自然とそれが起こるというのです。

ボブは、spontaneouslyに生きろ、と言います。
リーダース英和辞典で、spontaneousを引くと、

自発的な、内発的な、任意の、無意識的な;<文体など>(無理が無く)自然な、のびのびした 2自生の<樹木・果実>;自然にできる、自然発生的な、自発性の

となっています。

spnteneouslyに生きるとは、条件付けや参照点にとらわれないで生きること。これは条件付けだ、これは参照点だと思った瞬間に問題は起こってきます。これは条件付けだとか、これは参照点だと思う必要もなく、あるがままに生きること。

川の流れが止まったら、水は淀んでしまう。常に流れ続けて生きること。
問題の解決は、自然に起こってきます。そもそも問題など何もありはしないのですから。

そして、今日まで長々とボブの教えについて書いてきましたが、私が考えるボブの一番大事な教えをこれから書きます。

私はいない、万物は一つのもの、時間はない、死は存在しない。こういうことがどうしても理解できない人はそれで構いません。

でも、これだけは万人に役に立つと思います。

ボブは、五感を開いて、意識をまんべんなく五感に向けて、この瞬間を生きなさいといいます。

人は、あまりにも思考にとらわれ過ぎていて、多くのエネルギーを失い、思考はあなたを過去や未来へ振り回し、ありもしない参照点を持ち出して困らせます。
もちろん思考は使い方によっては重要な働きをしますが、問題はそれに囚われてしまって、肝腎な、目の前の今を生きようとはしないことです。

五感(見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、触れること)を開いて、そこにまんべんなく意識を注ぎ、今を生きること。これこそがボブの教えの神髄のような気がします。

2015.3.11追記

盤珪(ばんけい)について

ボブは講話の中で時々、江戸時代の臨済宗の禅僧、盤珪を引き合いに出します。彼が盤珪の話をする時は、"unborn mind"(不生の心)の中では、物事は完璧で、どこにも問題なんてないじゃないか、なぜそれをマインド(思考)で置き換えてしまうのか、と盤珪は言っているという風に言います。(盤珪の話は、「ただそれだけ」のp119にも載っています)

unborn mind(生まれる前の心)とはどいう意味かというと、生まれる前の心(マインド)には思考がない。思考がなければ、何も問題なんてないじゃないか、と言っているのです。ボブの言葉で言うなら、"What's wrong right now, if you don't think about it"(今そのことを考えなければ、何も問題ないじゃないか)です。

思考が無い状態とはどういう状態か。Full Stop! ほんのわずかの時間でも、思考を止めてみるとわかる。そこに思考は無くても、seeing, hearing, smelling, touching, tasitig は自然に起こっている。

そこに思考がなければ、見ている人(私、主体)と見られる物(あなた、客体)の区別は無く、ただseeing(見ていること)だけが起こっている。そして、それが、awareness(気づき・意識) すなわち、知性エネルギーの現れであるという。

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昔の聖職者(食うに困らない知的エリート):難解な言語や外国語→口語→聖職者以外の身分の皆様。拓さん;英語→拓さんの備忘録&わかる人にはわかるブログ。
世界の今昔の庶民(食べていくだけで必死。字も読めたり読めなかったり。)&旅ブログファンの自分の感想は「話なげーよー!」です。

ボブ先生は「電波ゆんゆん」タイプや「あーいえば、こーいう。」タイプの生徒さんを相手にお話しするのは大変でしょうね。それよりも近隣住民の皆さんや、もしも賃貸住宅ならば大家さんの理解を得ることにご苦労されているのではないでしょうか。
ボブ先生が「特別」に見えるならば、そういう苦難を越える「伝えたい。」情熱や信念があるからだと思います。

ボブ先生が「大腸菌は実在します。オシリは紙で拭きましょう。携帯ウォシュレットを使いましょう。手は石けんで良く洗いましょう。石けんが無い時は除菌ジェルを使いましょう。」とおっしゃったとしても、拓さんは屁理屈を言って聞き入れないように思います。
お返事はいいです。おこっちゃや~よ!

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