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2015年1月26日 (月)

セイラー・ボブ・アダムソン⑲(メルボルン)

The Spiel②

あなたが探し求めているものについて言うと、あなたはもうすでにそれなのだ。このことを調べたことのない人たちには酷なことだ。というのも、あなたは探し回って、自分の周りにあるあらゆる分離を見るだろうから。

そして言うだろう。「えっ、どうして分離などないと?」
そして私が言う。「じゃあ、あなたはその体なのか?心なのか?」

そしてもし一度も調べたことがなければ、「そうです」とあなたは言うだろう。しかし本当だろうか。
指し示すところをちょっと調べてみて、体の中に中心が見つかるかどうか見てほしい。

体のどこかに、ここからあなたが始まったという場所や、あなたがそこにいて、これが私だという場所があるだろうか?
たいていの人は、頭か胸かもしくはその他の場所から始まったと言うだろう。しかし本当だろうか?

もし体を調べてみれば、ここから自分が始まった、もしくは、ここが私自身だと言える場所はどこにもないということに気付くだろう。

体を調べてみれば、それが基本的な構成要素でできているのがわかるだろう。空気、土、火、水、空間― あなたを取り巻く構成要素と同じように。
もし自分が分離していると思うなら、自分自身を空気と分離してみなさい。水をあなたの体から取り除き、どれほど生きられるか見てみなさい。

地面から離れ、空間の外へ出てみなさい。体の熱、体温、火を取り除きなさい。それらの構成要素から、自分自身を分離できないことを知るだろう。

そしてそれらの構成要素は原子よりもさらに小さな粒子、純粋なるエネルギーへと分解されうる。
それゆえ、体は知性エネルギーの一様式そのものにすぎない。

私は神という言葉を使わない。それは混乱をもたらすからだ。私たちは皆異なるバックグラウンドを持つ。
無神論者もいれば、不可知論者もいる。キリスト教徒、ユダヤ教徒、仏教徒、モスリム、ヒンズー教徒などなど。

神について話せば、あなたは自分の伝統的な信仰と私の話を結び付けて混乱してしまうだろう。
私は知性エネルギーという言葉を使うが、私が知性という時、それはあなたの知性のことを言っているのではない。

自然を見てそれが、様式化され、形造られ、具現化されるのを見なさいと言っている。
銀河が形成され、地球や惑星が動き回り、季節が来ては去っていき、潮が満ちては引いていく。

それが意味するのは自然界全体はもともと知性に満ち溢れているということ、そしてあなたもエネルギーの一様式にほかならないということだ。
その知性があなたに呼吸をさせ、髪の毛や爪を成長させ、体の細胞を入れ替え、食べ物を消化させている。それはまったく自然に努力なく起こっていることだ。

ではあなたは心と呼ばれる物だろうか?調べてみて、心という物を見つけられるだろうか?あなたは正確にどこかの位置を示して、これが心だと言うことはできない。
私たちが心と呼ぶ物を通して「私はある」と翻訳される存在の感覚、振動するパターンのエネルギーがある。

しかし、もしあなたが心なら、あなたは思考なのか?心はすべて思考だ。そして思考は繊細なバイブレーション、エネルギーの動きだ。

「私はある」という思考がやってくる時、それは私たちが思考と呼ぶものを通して、あなたがいるという繊細な存在の感覚がバイブレーションとなって表れている。

繊細なバイブレーションとしての思考が振動しパターンとなってやってくるのはむしろ自動的だ。過去に関しては記憶として、未来に関しては、期待や想像となって現れる。
それは常に反対に向かって振動する。― 善と悪、快感と不快、幸福と不幸、愛と憎しみ、肯定と否定。自分の心を見つめ、それ以外のやり方で心が機能するかを見てみなさい。

その原初の思考が「私はある」という思考だ。さてあなたはその思考なのか?「私はある」という思考はあなたと一緒に一日中いる訳ではないことを理解しなさい。もしあなたがその思考なら、それを見失ったりしないだろう。

一日中、たくさんの別の思考がやって来る。あなたが眠っている時や、麻酔にかけられたり無意識の時には「私はある」という思考は無い。「私はある」という思考が無い時、あなたは消滅したりバラバラになったりするだろうか?それとも、知性エネルギー、生そのものが機能し続けているだろうか?だとすると、どうしてあなたが思考でありえるだろうか。

***

筆者(拓)注:I am「私はある」という訳は、「私はいる」とした方がわかりやすいのですが、そうすると、実体としての私がいるように解釈される恐れがあるのと、精神世界の本では「私はある」が定訳として定着しているので、「私はある」と訳します。
これはどういう意味かと言うと、「純粋なる知性エネルギー」が意識となって現れた感覚のことです。実体のある私がいると言っている訳ではなく、そこに何者か(知性)がいるという感覚が意識となって現れて、それに、I am「私はある」というラベル(概念)を貼っているにすぎません。
体(body)にも、心(マインド)にも、私と言う実態はいない。それでもなお、I am「私はある」という感覚があり、それが、「純粋なる知性エネルギー」をうかがい知るポインター(指し示すヒント)なのです。

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⑲は一番説得力がありますね。その通りだと思います。ぼくらはみんな一つです。

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