チャイナタウン(バンコク)
宿→(徒歩)チャイナタウン→ジム・トンプソンの家→宿
本日の宿 White Lodge シングル 550バーツ(2035円) 連泊
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日本はゴールデン・ウイークに突入ですね。そんなチケットの高い時期の旅行はやめて、私のブログで楽しんでくださいね。
今日も元気に歩いて観光するのだ!
タイはどこへ行ってもプミポン国王の写真が飾ってあるが、今時は娘さんの写真も多い(右の額縁)。
この電車でチェンマイへと、行きません。ちょっとトイレを借りに寄っただけです。
ワット・トライミット。黄金の仏像で有名。チャイナタウンの入口にある。入場料140バーツ(特別展示込みで518円)
1953年、遷都に伴い仏像を移転。主さ5.5トン、高さ3mの大きさのため作業がはかどらず、一晩野外で雨にさらされたまま放置。
翌日、仏像からはがれた漆喰の隙間から黄金が見えているのを発見。
漆喰をはがしてみると、中から黄金の仏像が現れたから大変。これはビルマ軍からの略奪を避けるために、黄金の仏像を漆喰で塗り込めたものだった。
でも、塗った人はどうしてそれをあとの人に伝えなかったの?
特別展示で、チャイナタウンの歴史をやっていた。バンコクは中国に近いため、多くの華僑が移り住んで、中国との交易も活発だった。ところが、18世紀末の遷都によって都をバンコクに移す際に、市内に分散していた中国人居住区を、現在のチャイナタウンに移したことがチャイナタウンの始まり。最初は中国人向けだった交易品がタイ人にも普及し、ますます華僑たちが栄えていった。
ここの中華街は大きい。シンガポールのチャイナタウンにも負けていません。
ここのドリアンはやや高い。シンガポール事件クラスの大きさが、約3000円ぐらい。
また、麺を食べた。80バーツ(288円)。これはイマイチ。量的にも不満。
今更ながらですが、ジム・トンプソン博物館へ。なぜかというと、宿のすぐ近くなので。
ジム・トンプソンは1906年生まれのアメリカ人。第二次世界大戦前は建築家だったが、34歳の時にアメリカ陸軍に志願入隊。第二次世界大戦終了間際にバンコクへ派遣され、そのまま退役後にバンコクに永住。
タイのシルク産業は小規模な家内産業だったが、デザインの才能にも恵まれていたジム・トンプソンはプリント模様のタイシルクを生み出し、タイシルクを世界的に広めた。事業で成功をおさめた彼は、この地に、伝統的なタイの古民家6軒をアユタヤなどから移築再建。古来の建築様式を生かしつつ、彼独自のアレンジで自宅として建てた。
1967年3月26日、休暇で滞在中のマレーシアのキャメロン高原で謎の失踪をとげ、現在に至る。
入場料100バーツ払ったら、お姉さんがやって来て、もうじき日本語でガイドしますので待っててね。家の中は勝手には見学できないし、撮影も禁止。その代わり、お姉さんがいろんな国の言語でガイドしてくれる。
来場の子供たちにあげるために、待機中のお姉さんが折った折り紙。像だそうです。見えないこともないけど。
ガイドしてくれたのはこのお姉さん。まあ、かわいい。日本人は全部で三人でした。
機織り展示のお姉さん。
ジム・トンプソンの家は、想像した以上にすばらしかった。タイシルクにも、ジム・トンプソンにも興味がわいた。
宿で、ミヤンマーで買ったTシャツを着ていたら、宿の若い従業員の子たちに人気。ミヤンマーからの出稼ぎだそうです。アジアの女の子たちは優しい感じがするので好きです。
夕食は、宿の近くでビールも出す大衆食堂を見つけた。現地の人が美味しそうに食べているものを指さして、あれは何だと聞いたら、トムヤンクンだという。
タイでトムヤンクンを食べるなんて、ベタすぎる。シーフードとチキンがあるというので、シーフードにした。
私はパクチーとかタイ料理の香草が苦手。辛いのも嫌。でも、それを割り引いても美味かった。だんだんくせになる。料理は90バーツ(333円)。ビールは95バーツ(352円)。
昨日もそうだったが、食後は暇なので、東急百貨店を散歩。8000円もするYシャツや、10000円以上もするナイキのスニーカーを誰が買うのかと思うけど、お客で一杯。
テナントの飲食店におもしろい店を見つけた。
「しゃぶしゃぶの寿司」という店。テーブルにしゃぶしゃぶ鍋がのっていて、具と寿司が、回転ずしのようにまわっている。375バーツ(1388円)で食べ放題。これがよくはやっていて、順番待ちのお客までいる。
入口の宣伝モニターをボーッと見ていたらなんと。
鉄人坂井シェフが登場。まさか坂井シェフの店じゃないだろうから、たぶん皿に出ている何か一品をプロデュースしたのかなあ。ひょっとして、このお店は日本にもありますか?
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