セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび 1
2018年11月21日追記
このブログ内のセイラー・ボブ・アダムソン関連の記事は加筆、修正を加え、以下のサイトに移記しましたので、そちらで読んでいただくようお願いします。
新ブログ
以前に「拓の世界一周旅日記」に書いたセイラーボブ関連の記事は、加筆、修正することなく、書いた当時のまま残しています。
ただ当時は、私のボブの教えに対する理解がまだ浅く、誤解を招く表現が多々あり、わかりずらいものになっています。
新しいブログに移記したものは、かなりわかりやすいものになっておりますので、すでに当サイトで読まれた方も、ぜひもう一度新しいブログで読んでいただくようお願いします。
そちらのブログでは、セイラー・ボブの教えをもっと詳しく書いていく予定ですので、よかったら時々読んでやってください。
***
私とは何者か
今から八年ほど前に父が脳梗塞で倒れた。直接の原因は過度の飲酒。大量に酒を飲んだ後で外出し、路上で倒れて救急車で病院に運ばれた。
二日ほど経ち、酒が抜けてからの医師の診断は、脳梗塞から来る認知症。脳以外にどこも異常がなく、体に麻痺はなかった。会話も普通にできたし、食欲も普通にあった。
ところが、記憶の大部分が失われていた。自分の名前と、私が息子であることはかろうじて覚えていたが、その他の記憶がないのである。
年齢を尋ねると、二十八歳と答える。父は当時八十歳に近かった。家はどこにあるのかと聞くと、名古屋と答えるが、父は名古屋に住んだことは一度もない。
何を聞いても覚えておらず、そこにいるのは父ではなかった。ところが不思議なことに本人は、記憶がないということに対して、不安やネガティブな感情がないのである。
その時私は、人間がすべての記憶を失ったら、そこにいるのは誰なのだろうと思った。自分の名前すら忘れてしまったら、私は一体何者なのだろうかと。
ところが、記憶の大部分が失われていた。自分の名前と、私が息子であることはかろうじて覚えていたが、その他の記憶がないのである。
年齢を尋ねると、二十八歳と答える。父は当時八十歳に近かった。家はどこにあるのかと聞くと、名古屋と答えるが、父は名古屋に住んだことは一度もない。
何を聞いても覚えておらず、そこにいるのは父ではなかった。ところが不思議なことに本人は、記憶がないということに対して、不安やネガティブな感情がないのである。
その時私は、人間がすべての記憶を失ったら、そこにいるのは誰なのだろうと思った。自分の名前すら忘れてしまったら、私は一体何者なのだろうかと。
すべての記憶を無くしても、誰かが衣食住の世話をしてくれたら、生きていくことは可能で、それが悲しいとか不安の気持ちはない。思い出す記憶がないのだから、思い出して不安になることも悲しくなることもない。比べる記憶がないのだから、未来を不安に思うこともない。
一か月ほど病院で過ごしたが一向に回復しなかったため、施設に移って生活するようになると、少しづつ記憶が回復し、半年後にはほとんどの記憶を取り戻した。
そうなると、どうして俺をこんな施設に入れたのだ、早く自宅に戻せと言い出し、不安やネガティブな感情の中で過ごすようになった。
私は一体誰なのか。すべての記憶を取り去ったそこにいるのは一体何者なのか。
一か月ほど病院で過ごしたが一向に回復しなかったため、施設に移って生活するようになると、少しづつ記憶が回復し、半年後にはほとんどの記憶を取り戻した。
そうなると、どうして俺をこんな施設に入れたのだ、早く自宅に戻せと言い出し、不安やネガティブな感情の中で過ごすようになった。
私は一体誰なのか。すべての記憶を取り去ったそこにいるのは一体何者なのか。
セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび
昨年四月にボブのもとを離れる時、私はボブの言っていることを完全に理解していると思っていました。ところが日本に帰って一人になって考えてみると、どうもしっくりこない部分や、理解の浅い部分があることに気づきました。
そして毎日ボブとギルバートの本を読む日々。それでもしっくりこない部分があったので、もう一度メルボルンのボブに会いに行きました。
今回は2016年1月28日から2016年2月14日の間に八回ミーティングに参加。そのほか、ボブを囲んで有志でランチに一回行きました。そして今回、完全にボブの教えを理解、納得しました。9か月ぶりに訪ねたセイラー・ボブは、
「ここでは、あなたに何も教えはしないし、何かを伝えるわけでもない。
あなたにポイントを指し示し、あなたが自分でそれを調べるようにと求めているにすぎない。」と、毎度おなじみのフレーズでspielを始め、昨年私がボブのもとを離れた時と変わらず、元気でミーティングを続けていました。
その様子を別のブログで少しだけ書いていますので、リンクを貼っておきます。
ミーティングその1
「ここでは、あなたに何も教えはしないし、何かを伝えるわけでもない。
あなたにポイントを指し示し、あなたが自分でそれを調べるようにと求めているにすぎない。」と、毎度おなじみのフレーズでspielを始め、昨年私がボブのもとを離れた時と変わらず、元気でミーティングを続けていました。
その様子を別のブログで少しだけ書いていますので、リンクを貼っておきます。
ミーティングその1
今回このブログで書くのは、前回のブログではわかりにくかった部分、説明不足だったなと思う部分だけを書きますので、前回訪問時のブログを読んでない方は、前回のブログも併せて読んでください。長々と書くつもりはなくて、足りない部分の付け足しという感じで、全8回の予定です。
明日に続く。
明日に続く。
2018.11.21追記
当ボログ記載のセイラーボブに関する記事は掲載した時点での私の理解がまだ浅く、説明がわかりずらいため、最低限の加筆修正ののち新しいブログに移記しました。そちらの方が多少はわかりやすいと思いますので、そちらで読んでいただくようお願いします。また、2019年春ごろから新たにセイラーボブの教えについてもっとわかりやすく書く予定です。
新ブログ
Sailor Bob's Cafe
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出だしのお父さまのお話
わたしは誰か?
を考えるときのわかりやすいヒントになると思いました。
記憶がなくなり、その人が積みかさねて守ってきた信念や価値観が消えてしまったとき、残るものは何なのでしょうか?
ボブの言う、go back というのが強制的になされた状態なのかな?
投稿: ち | 2016年2月22日 (月) 07時11分
7月4日にメルボルンから無事帰国しました。5月18日にボブのミーティングに参加して、7月3日までの約1ヶ月ちょいの期間、ボブのミーティングに毎回参加して参りました。拓さんのこと、ボブさんは気にされていましたよ。英語が大変流暢でやりやすかったと語っていました。ぼくはセントレアで名古屋の饅頭をお土産に買っていきましたが、ボブさんはあまり好きじゃなかったみたい。ちなみに、ぼくの顔がミーティングのYouTubeに少し映っているので(ほんの数秒間)ですが、拝んでやってください。やはり、日曜日のミーティングの後のIKEAは楽しい気分になるものです。1ヶ月ちょいの滞在中に、メルボルンのシティでばったり休暇中のボブに会ったんですよ。ハドソンコーヒーの店の前のベンチで、よく見慣れたお爺さんが座っていたので、まさかと思って声をかけたら、ボブさんでした。カタリーナという素敵な美人とお買い物中だったみたいで、疲れてベンチに腰かけていたみたいです。ボブさんは『一緒にコーヒーを飲みに行こう』と誘ってくれましたが、カタリーナと仲むつまじくデートしていた感じなので、丁重にお断りしました。ギルバートは体調が芳しくなく、ほとんどミーティングに来ませんでした。2014年は頻繁にミーティングで一緒だったのに、最近は体調不良でほとんど欠席していますね。7月14日はボブの誕生日パーティーなのに、飛行機の都合で帰ってきちゃいました。オーストラリアドルは下落の一途を辿り、ビクトリア警察署の真横のマネーチェンジ屋で安く両替できるので、個人的にはお勧めです。ま、こんな近況なんですがご理解頂けましたでしょうか?。
投稿: たいら | 2016年7月 7日 (木) 20時36分
たいらさん、情報をありがとうございます。
サビーナが facebook で、「日本人が来たよ~」と写真を載せていたので、あれがきっと、たいらさんですね。ラメッシュはよく「たいらさん」のことを話していたので、きっと再会を喜んだのでは。
最近のボブはYouTubeで見ると、髭を生やして元気がないような印象を受けるのですが、そうでもないんですね。安心しました。
ボブはチョコレートのような甘い物が好物で、私の持参した「あられ」もイマイチでした。
投稿: TAKU | 2016年7月 7日 (木) 22時44分
ありがとうございます。一泊26ドルのバッパーに泊まりながらボブの家に通っていました。Facebookは退会処分になったぼくなので、Facebookは開けません。そのサビーナって、たしかスタッフの女性ですよね。知ってますよ。いつもミーティングの時にカメラを回していた方だと思います。2017年の1月って、オーストラリアがクソ暑い時じゃないですか?そんな時期に行って滅入りませんかね?。ちなみにボクはコールドなシーズンが好きなので、冬を好んで移動します。最近のボブ、白髭も生えて頭の白髪も生えてきていて、まるでラムダス(アメリカのマスター)に顔が似てきてますね。14日に88歳になるそうです。同い年の祖母と2人暮らしのボクも気合いが入ります。滞在中、ボブの家にケトルベル(ロシアの筋トレ器具)が置いてありました。偶然なのか、ボクは肉体改造のためにケトルベルを日本で凄く欲しがっていたんですよね。ボブは、決してvisitorを特別扱いしない代わりに、個人に適したアドバイスを特徴的な表現方法で伝授してくれます。きっと、以心伝心したのかもしれません。2013年の5月に初めてボブにお会いしたときに、『あなたの心はわたしの心です』と言われたんです。その印象的な一言は、決して嘘ではなかったと思います。当たり前の話ですが、ボブはマスターだと思います。マスターにお会いできるというのは、幸運なことかもしれませんね。
投稿: たいら | 2016年7月 7日 (木) 23時56分
4月15日から5月15日までの1ヶ月、またセイラーボブアダムソンのミーティングに参加してきました。5月過ぎるとメルボルンの観光客が減少するせいか、いつも人気があって泊まれなかったバッパーも泊まれました。2013年5月21日からボブのミーティングに参加しているボクは、事実上日本人訪問者最多参加記録を更新しています。マスターもサットサンガを行う度に成長を続けていくらしいので、ボブのミーティングに参加することは、ボブの成長と寄り添うことになるのでしょう。拓さんは、1月か2月にミーティングに参加するとおっしゃっていましたが、ボブ曰わく「来ていない」と。でもその代わりに、トニーという名のニュージーランド女性がいつも拓さんが宿泊していたYHから来ています。もし拓さんが再度そのYHに宿泊すれば、トニーと一緒にトラムに乗る可能性もなきにしろあらずでしょう。わたしは5月15日の日曜日のミーティングの直後、予定通り日本に帰国しました。書いても仕方ないことかもしれませんが、一応ご報告させていただきます。
投稿: たいら | 2017年5月16日 (火) 15時06分
報告ありがとうございます。
今年の一月に行く予定でしたが、諸事情により行きませんでした。
今のところ、近々に行く予定はないのですが、来年あたりにはまた行きたいと思っています。
そのうち、たいらさんともボブのところで会えるのではないかと思っておりますが、どうでしょうか。
投稿: TAKU | 2017年5月16日 (火) 21時56分