« セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび 3 | トップページ | セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび 5 »

2016年2月25日 (木)

セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび 4

エンライトメント

アウエアネス(awareness)は、aware(気づいて)いる状態。つまり、目覚めている状態。別の言い方をすれば、覚醒(エンライトメント)している状態。
私たちはアウエアネスそのものであり、エンライトメントしている状態です。(「私」はいないのですが、便宜上「私」という言葉を使います)

ボブの教えを理解しても、エンライトメントは起きません。何か特別な理解も起こりません。
もしそれが起こったというなら、それはトリップであり、トラップ(罠)です。私たちは、気づいていようがいまいが、もともとエンライトメントしている状態にあるのです。

ボブは「今この部屋でaware(目覚めて)していない者はいるのか?みんな目覚めているだろ。今朝目覚めてからずっと目覚めているだろ。もしこの目覚めている状態の外に出られるものなら出てみろ」と言って笑わせます。

私は覚醒体験そのものは否定しません。私もボブの本を読んでいて、時間が無くなった感覚が起こり、まわりの物すべてが鮮明に見え、何もかもがクリアーになった一瞬がありました。私は自分がエンライトメントしたのだと思い、友人にメールしたものです。

でもその感覚は翌日には消えてしまいました。そんなことは誰にでも起きる体験にすぎないとボブは言います。ボブの教えは、何かを得ることや、何かが起きることとは全く関係ありませんし、何も起きません。
何かが起きることを期待して瞑想したり、修行を続けるのなら、ボブの本に出てくる修行者と同じ過ちを犯すことになります。

真理を得るために修行者はグルのもとで12年間修行するように言われます。12年経ってグルに尋ねると、グルは「汝それなり」とだけ言います。

納得できなかった修行者は別のグルを訪ね、そこでも12年間修行するように言われます。12年が経ち、修行者がグルに尋ねるとグルは、「汝それなり」と言います。それを聞いて修行者は自分がもうそれなのだと理解します。

ここで多くの読者は、修行者にエンライトメントもしくは何か特別な理解が起こったのではないかと勝手に解釈してしまいますが、実際は何も起こっていません。普通に、自分はもうそれだったと理解しただけの話です。

「私はエンライトメント(覚醒・悟り)した。あなたも私のもとでこれこれの瞑想・修業をしなさい」というマスター(グル)には気をつけてください。全部インチキです。あなたはもうエンライトメントしているのです。
差し障りがあるので名前はあげませんが、「私は覚醒した」というマスターは全部インチキです。感動的なベストセラーを書いていようが、たくさんの信奉者を集めていようが、彼らはあなたに解放をもたらしません。

20年以上もあちこちのインチキグルの間をフラフラさまよい、気休め程度にしかならないあれこれの瞑想や方法を繰り返した私が偉そうなことは言えないのですが、エンライトメントするという概念は間違いです。

何十年も瞑想して、ごく稀な人にしか起きないエンライトメントを求めてこれからも瞑想を続けますか。本当にそんな状態があると思いますか。それとも、本当に自分が実在なのかを自分で調べて、アウエアネスの顕現とも言えるこの世界こそが奇跡なのだということを理解し、そこにはただ一つ、アウエアネスがあるだけだということを理解しますか。

もし、私もあなたも実在ではなく、同じ一つのものの現れにすぎないということを理解したら何が起きるでしょうか。
路上の売春婦も乞食も、ロックスターも大統領も、実は同じ一つのものの現れなのだと知ったなら、人々に対する途方もない慈愛が生まれ、争いは地上から消えると思いませんか。

思考や概念が実態のないもので、消えていくものだと知ったなら、恨んでいる私も、恨む相手も実在ではないと知ったなら、人を恨んだり、憎しみを抱くことすらばかばかしくなるのではありませんか。

過ちや後悔も、実際はアウエアネスの中で起こった概念にすぎないと知れば、とてつもない癒しが起きると思いませんか。

私はボブの教えを完全に理解するのに一年以上かかりました。その原因の一つには言葉の壁がありました。
精神世界の用語を母国語以外の言葉で理解するのは容易ではありませんでした。

取りようによってはどういう風にでも解釈できる場合も多い。マインドという言葉一つを取っても、日本語で何通りもの翻訳が可能で、そのニュアンスを正確に掴むのは難しい。

日本語で手に入る情報は「ただそれだけ」と、限られたネット上の情報しかありませんでしたが、そこには彼がエンライトメントしたのかどうかの情報はありませんでした。

加えて私は20年以上にも渡ってエンライトメントを求めてフラフラしてきた。日本人の多くは仏教徒で、お釈迦さまが悟りを開く話は何度も聞かされていて、悟りは開くものだという先入観がある。その先入観が理解を遅らせました。その先入観がなくて、言葉の壁がなかったなら、ボブの教えそのものを理解するのに、二週間もあれば十分だったのではないでしょうか。

私はボブのミーテイングに60回以上出ていますし、ランチだって20回近く一緒に食べています。ボブの英語もだいたいは理解できます。でも、もしミーティングが日本語で行われ、日本語での質疑応答が可能だったなら、おそらく数回のミーティングで理解できたのではないかと思っています。awareness(意識・気づき)と、conscious(意識)の違いも、日本語で説明してくれれば、全然難しくないことです。

「エンライトメントなんてない」と英語で言われても、それなら「何か別の特別な理解」が起きるのではないかと考えてしまいます。日本語で「何も起きない。一切ない」と言ってくれれば済む話でした。

「私はいない」ということを自分で調べることも、そこに何かエソテリック(秘教的)な方法があるわけではなく、普通に自分で調べて自分で納得するだけの話です。

ボブの教えは、何十年も瞑想して、ごくまれな選ばれた人しか手に入れることができない何かではありません。言葉が理解できて、自分で調べる勇気のある人なら誰でも理解できる教えです。

ちなみに、ボブがマハラジのもとに滞在したのは五週間だと「Living Reality」にあったと思います。

ボブの教えには、何かになる、何かを達成するということは一切ありません。瞑想もセラピーもブリージングもヒーリングもリトリートもシャクティパッドも一切不要です。私たちはもうすでにそれなのです。

明日につづく。

« セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび 3 | トップページ | セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび 5 »

 セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび 4:

« セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび 3 | トップページ | セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび 5 »

カテゴリー

無料ブログはココログ