ブラガイ日帰り(in ボスニア・ヘルツコビナ)
ホステル→(バス)ブラガイ→新市街→ホステル
昨日、宿のやり手ババアが連れてきたのは、「いやん、もう、結婚して!」というぐらいさわやかな日本人青年。
彼は会社を辞めて旅に出て8ヶ月目だそうです。彼に教えてもらったんですが、今日泊まっているような、家主の家の一部をプライベートルームとして貸す宿をSobe(ソベ)と言うそうで、ここから南の中欧に多いそうです。
ドブロヴニクの宿をネット検索したところ、ドミ(大部屋)でも4000円ぐらいするので彼に聞いたら、客引きが来て10ユーロぐらいのソベへ連れていってくれるので、予約なんか要らないという。
さて今日は、宿のババアお勧めのブラガイへバスに乗って。
モスタル市内には黄色のバスがたくさん走っているが、多くのバスのボディにこのペイントがある。
日本からの援助で、たくさんのバスが贈られたそうです。From the people of Japan というのがいいですね。
そして、ツナミの時にはわれわれも日本に援助したよ、と昨日誰かが言ってました。
清流の川沿いに歩きます。バスを降りて、何人かの子供に道を聞いたのですが、みんな英語が達者です。この国では小学校の4年生から英語教育が始まるそうです。
ここは、アドリア海から北上する街道の途中にあって、重要な場所だったそうです。今はあんまり家も建っていないが、谷合にあって、きっと昔はここを通らないと先へ行けなかったと思う。
対岸へ渡って、水の出る洞窟を見ようと行ったら、途中にヤギがいた。
そしてこれが洞窟。なんでこんな小さい洞窟からあんなたくさん水が出るんやろう?
左の建物がイスラム神秘主義教団の修道院で、かってはイスラムの聖地として栄えたそうです。
この景色はけっこう有名らしく、切手にもなっているそうです。
きれいな水、さわやかな風。まだ午前中なので、ほとんど人がいません。
モスタルの街に帰ってバスを降りたら、バス停の前がお墓だった。墓石を読むと、ものすごい数の人が1993年に亡くなっている。それも、十代、二十代の人が多い。
1993年ということは、ボスニア紛争で従軍もしくは被害にあって亡くなったということ。トルコ系住民のマーク(月に星)が多いが、そうでないものもある。
この町はモスリムの街なので、おそらくセルビア軍と戦って命を落としたんでしょう。
もっと生きたかっただろうな、と胸が詰まった。
ズボンを買うべきかとか、昨日の果物屋のババアに何か仕返しできないかとか、クヨクヨ考えている自分はなんと幸せなことか。
ちょっとぐらい寒くたって、ちょっとぐらいボラレたっていいじゃないか。
こうして生きていて、そのうえ旅までさせてもらっているんだから。
街を歩くと時々、未だに蜂の巣のような銃痕が残る建物を見る。あれからまだ10年も経っていない。
旧市街に「トルコの家」というのがあって、トルコ系の人の古い住宅がそのまま残っているので見物。
お腹が空いたので地元飯。名前は忘れた。豆スープの中に肉団子。トルコ料理に近い。なぜか鰹節の味がした。全部で9マルカ(630円)
新市街に行ったら、「なめんなよ!」と巨大ショッピングセンターがあった。
7階建てで、NIKIやReebockなんかも売っている。
今日も幸せな一日でした。明日はドブロヴニクです。
今日の宿(連泊) Hostel Dade シングル 10ユーロ
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