82イラン

2014年10月27日 (月)

旅に出たいきさつ③(シーラーズ・イラン)

人が一生のうちで、世界一周できるような長旅に出るチャンスがどれだけあるだろうかと考えた。
世界一周をするためには三つの条件が揃わないとできない。

まずは気力、体力も含めた健康。世界一周できるだけのお金。そして自由な時間があること。これはしがらみがないことと言い換えてもいい。
この三つが揃わないとできない。最初にこの三つが揃うのはおそらく二十台後半から三十台の初め頃。

社会に出て働いて、ある程度の貯金もでき、若くて健康。まだ独身で、社会での責任もそれほど重くはなく、なんとか旅に出ることができる。
しかしそのチャンスを逃してしまうと、人はいろんなものを抱え込む。

家庭を持ち、子育てや住宅ローン。社会での責任は増し、おいそれとは抜けられなくなる。次にチャンスがやってくるのは、おそらく定年退職をしたあとになる。
大概の人には次のチャンスはやってこないまま、両親の介護が始まり、自分の体のことも心配になり、分別くさくなって、旅に出ようなどとは思わなくなる。

でも私には幸運にもまたその三つの条件が揃った。お金は有り余るほどとはいかないが、介護で外へ出なかったことと、父が残してくれたお金もあり、贅沢しなければ世界一周するだけのお金があった。健康で独身。旅をするのに年齢は関係ない。マルコ・ポーロは51歳まで旅をしたが、当時の平均寿命をはるかに超えて旅をした。

旅から帰ってきて定職に就けなかったとしても、住む家はあるし、自分一人が食っていくくらいならなんとでもなると思って旅に出ることにした。

最初は後ろめたさと不安でいっぱいでしたが、旅をするうちにそれもなくなり、あとはみなさんに読んでもらったとおりです。

英語でブログを書くという計画はすぐに挫折しましたが、ブログそのものは、みなさんのおかげで何とか今日まで続けることができました。以上で旅に出たいきさつを終わります。

***ここからはいつものブログ***

今日は移動日のため、これは朝予約投稿しておいたものです。

ホテル→(タクシー)空港→(エアアラビア13:45発 899AED 26351円)UAEのSharjah乗換→28日午前2:10デリー着→空港で朝を待ってバスでジャイプールへ

今日の宿 デリー空港泊

28日未明にインドのデリーに着きます。シーラーズから直接ネパールに行くと航空券が7万円以上かかるので、インド経由で行くことに。
でもインド素通りではもったいないということで、ジャイプール一か所だけ観光してインドを通過します。

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昨日、シーラーズの郵便局からテヘランのAmol Mazandaran Hotel の人(たぶん住み込みの従業員)に、「地球の歩き方・イラン」を発送。

その人、誰かからもらった「地球の歩き方・トルコ」を持っていて、イランがいらんならくれ、と言うんです。ウズベキスタンに行かないことにしたので、中央アジア版をあげて、イランは最後にシーラーズから送るよと言ったら、封筒に宛名を書いて切手代をよこした。

彼、日本語なんて読めないんですよ。でもトルコ版をとっても楽しそうに眺めて、ここがどこどこだ、とか話すんです。たぶん海外なんか行ったことがなくて、写真を眺めるだけでもものすごくあこがれて楽しんでいるんじゃないかと思います。

それを思うと、自分は今、ものすごく貴重な体験をしているんだなあと痛感。あと少し、残り少ない旅をしっかり旅します。

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2014年10月26日 (日)

旅に出たいきさつ②(シーラーズ・イラン)

毎日毎日会社と介護だけの生活。こんなことだけして日々が過ぎていっていいものだろうかと思うようになった。介護の傍ら、何かできないだろうかと思い、自らの英語のブラッシュアップも兼ねて、「ノリちゃんの英会話教室」というブログを始めた。これは従姉妹のノリちゃんに生徒役になってもらって、一日一文英語を解説付きでブログに書くというものでした。

「ノリちゃんの英会話教室」というブログを書く一方で、翻訳の勉強も始め、「翻訳家への道」というブログも始めた。この先、父の症状が重くなって会社を辞めたら、なんとか在宅で仕事ができないものかと考えたからです。

毎日パソコンに向かううちに、ネットサーフィンで、世界一周をしながらその様子を英語と日本語の二か国語で書いている人のブログを知り、読むようになった。
三郎という人がオートバイに乗って世界を旅するブログでしたが、これがおもしろかった。

毎日読むようになり、いつか自分もこの人のように世界を旅して日英二か国語でブログを書きたいと思うようになった。
その頃会社ではパワハラにあっていて、家では父の介護。会社はおもしろくなかったが、きっちりと5時には終わり、家から車で30分ほどの場所にあった。
外回りの営業をしていたので、ある程度自由がきいて、介護をするにはもってこいの仕事だったので転職するわけにもいかず、毎日のストレスを、いつか世界一周するんだという妄想でしのいでいた。

とはいうものの、介護がいつまでつづくのか先はまったく見えず、世界一周は現実的な話ではなかった。
結局、在宅介護は5年あまり続いた。

ある年の夏、父が突然食欲をなくし、物がまったく食べられなくなり、一か月ほど点滴療養を続けたある日、心筋梗塞で亡くなった。

父が亡くなっても、すぐに世界一周の旅に出る気にはなれませんでした。
私は当時54歳。もし会社を辞めたら、また定職に就くのは難しい。それほど多い給料ではないが、旅から帰ってまた同じ額の給料がもらえる職にはつけない。
旅に出れば、いい歳をして何を血迷っているのかと人は笑うだろうと考えた。

しばらく迷っていたが、行くことに決めました。

明日につづく。

***ここからはいつものブログ***

今日も観光はなし。明日の飛行機待ち。

宿の近所でテイクアウトの店を発見。

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肉と豆の煮込みが60000リアル(240円)。米が食える店をみつけたのでありがたい。なんとこの店は両替所にもなっていて、3400000リアルを100ドルに換えてくれた。

テヘランで100ドルを3200000リアルで換金したので、再両替としては妥当なところかと思って交換。ところがあとで近所の公設両替所へ行ったら、買いが3230000リアルで売りが3210000リアル。一年五か月も旅してるのに相変わらずやられっぱなし。

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場所はキャリーム・ハーネ・サンド通りのPars Touristの10軒くらいキャリーム・ハーン城塞寄り。

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2014年10月25日 (土)

旅に出たいきさつ①(シーラーズ・イラン)

もともと私は、世界一周をしたいなどとは全然思っていませんでした。
話は今から8年ほど前にさかのぼります。ある日、父が突然脳梗塞で倒れ入院。その結果、認知症になりました。

体に障害や後遺症はないものの、自分の年齢や出身地さえわからなくなり、介護認定を受けて施設に入りました。当時、私と父は別々の家に住んでいて、それぞれ一人で暮らしをていました。

一年半ほど経つうちに、父の症状はだいぶ軽くなって、まわりの様子がわかるようになると、「どうしてこんなところにいるのだ?早く出してくれ」と言うようになりました。
だいぶ回復したとはいうものの、とても一人で住めるような状態ではなく、さりとて会社員の私の家に引き取るわけにもいかず、なだめすかす毎日でした。

そのうちに、どうしても施設を出たいと言って、施設の人とも喧嘩するようになり、施設の方でもどこか他を捜してもらえないかと言うようになりました。
他を捜すと言っても、施設はどこも満室。ましてや体には異常なしの認知症を引き取る施設はそうそう簡単にはみつかりませんでした。

私はサラリーマンでしたので、昼間父の世話を誰がするかということが大きな問題でした。父は長く一人で旅で商売をしていた人。人の世話になるのが嫌で、自分の好きな時間に起きて、好きな時間に好きなものを食べたいという人でしたので、ヘルパーさんに来てもらうという選択肢はありませんでした。

何度か外泊させて試行錯誤を経た結果、なんとか在宅で介護できる目途がたったので、父を引き取って、会社勤めの傍らで在宅介護が始まりました。

幸い父には徘徊癖はなく、もし万一そのようなことでまわりに迷惑がかかるようならすぐに施設に入ってもらうという約束でした。過去に一度施設に戻された経験のある父は、もうヘマはしないようにと努めて、よくわからないことには手を出さないようになりました。

父は、酒と活字があれば他には何も要らない人でしたが、酒が原因で脳梗塞で倒れたので、酒は止めてもらい、新聞や雑誌、本を読む毎日。新聞や雑誌を何時間でも飽きずに読んでいられる人でした。

体には異常はないのですが、ガスを使ったり、エアコンのスイッチを入れたり、風呂を沸かしたりということは自分ではできません。
私の介護の内容としては、一日二回の食事の世話。薬を飲ませること。毎日の風呂と洗濯。二週間に一回の通院の付添。二か月に一回程度の床屋。歯医者への通院。父の読みそうな歴史ものの本や雑誌の調達が主な内容でした。

父はもともと一日二回の食事習慣でしたの、私が会社に出かける前に味噌汁をわかして保温鍋に入れておくと、たいてい昼ごろ起きて、冷蔵庫から惣菜を出して、炊飯ジャーのご飯と味噌汁で食事をして、あとは日がな一日、新聞や雑誌を読むという生活でした。

介護自体はそれほど大変ではありませんでしたが、毎日会社が終わると、今日も何も事件が起きていませんようにと思いながら、急いでスーパーで惣菜を買って帰り、夕食の支度をする毎日。泊りがけの旅行に出ることはできず、休みの日に友人と会っても、夕方には急いで帰る毎日でした。

明日に続く。

***ここからはいつものブログ***

今日は観光しませんでした。この町の見るべきところはもう見てしまって明後日の飛行機待ちです。食事をしに町歩きをした程度です。

シーラーズの宿情報(今泊まっている宿を載せておきます)

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ダブル 300000リアル Wifi無料 道路際で夜、車の音が少しやかましい。

名前がアラビア語で読めませんが、無理に英語読みすると hedayat だそうです。キャリーム・ハーン城塞近くのPOST OFFICE(郵便局)の前の通り(Hejrat Street)にあります。
郵便局から100mほど北(川方面)へ行った右手。

手っ取り早い行き方はタクシーの運ちゃんに上の写真を見せると連れていってくれる。
フロントで部屋はあるかと聞くと、410000リアルと言われるので、日本人のブログに30万リアルで泊まったと載っていたと、ブログを見せると30万リアルにしてくれます。

シーラーズはキャリーム・ハーン城塞から北に行く通りに安宿がたくさんあるので、到着後自分で捜しても簡単にみつかります。

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2014年10月24日 (金)

ペルセポリス(シーラーズ・イラン)

今日はペルセポリスツアーに参加。写真増量でいきます。

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ツアーを申し込んだのはここ。ショハダー広場からキャリーム・ハーネ・ザンド並木を西に200mぐらい行った右手にある。

半日ツアー(8時から13時までで960000リアル3840円)に参加。(一日ツアーは半日ツアーのあと食事をしてパサルガダエへ行く。)

朝8時にツアー会社の前に行ったら、ガイドのエリーさんが来ていたので挨拶。ついうっかり握手しようとしたら、笑顔で断られた。
フランスから来た人も断られていたけど、モスリムの女の人に気軽に握手しようとしちゃダメですよ。

ツアーは全部で10人。日本人はワシだけ。ベンツのミニバスに乗って出発。約一時間ほどでナグシェ・ロスタムというところへ。

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ここは歴代の王が眠る墓。

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写真はダレイオス一世の墓。ゾロアスター教のため鳥葬ですが、王様を野ざらしにするわけにもいかず、写真中央の四角い穴の中に蓋のない石棺を置き、そこで鳥葬にしたそうです。

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これは後代に彫られたレリーフ。捕虜になったローマ皇帝の手首を掴むシャープール一世。一時期ペルシャはローマをおびやかすほどの強大な帝国を築いていた。

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そしてそこからまたバスに乗り、いよいよペルセポリスへ。ペルセポリスはアケメネス朝ペルシアの宗教上の都。紀元前520年にダレイオス一世が建築に着手し、その息子の代に完成。

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入口の階段の段差が非常に小さく、何段にもなっているが、これは王様に貢物を持ってくる各国の使者に高齢者が多かったため、こういう構造に造られたそうです。

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宮殿の入口にそびえるクセルクセス門。像はシリアの職人を連れてきて造らせたそうです。当時のペルシアには奴隷という制度はなく、ちゃんと報酬を払って働かせたそう。

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内側から見たところ。往時は木製の屋根が付いていた。

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門を横から見たところ。

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アバダーナ(謁見の間)。この柱は高さが20mぐらいあるが、この柱の上にはレバノンから運んだ大きな木材で造った屋根があったという。

今、私たちが見ている石の柱は、石がむきだしだが、当時は石の表面に黒い色が塗られ、その上に金や銀で彩色がほどこされていたとガイドのエリーさんが説明。

往時の宮殿全体の壮麗さを想像してみた。この大きさ、その見事さ。極彩色に彩られた、ものすごい宮殿だったに違いありません。
こみ上げてくるものがあり、泣きそうに。まわりに人がいるので泣きませんでしたよ。

でも、私が旅に求めていたのはこういう感動だったなと再確認。旅に出た最初のころはしょっちゅう泣いた。マルクト広場で鼓笛隊の演奏を聞いて泣いた。グラナダで山の雪を見て泣いた。マラケシュのフナ広場の喧噪の中で泣いた。

それがいつしか、泣かないどころか、しびれるような感動もなくなった。でも、旅はやっぱりすばらしい。まだまだ感動できる。
もっともっと感動するために、一旦この旅を終わらる。そしてまた働いて、どうしても行きたくなったらまた行く。そしたらきっとまた泣く。

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別の角度から。 見たかったなあ。往時の姿を。

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ダレイオス一世の宮殿と呼ばれる場所。ここも極彩色に塗られていたんでしょうね。

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すぐ横の石にゾロアスター教のシンボルが彫られていた。

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アバダーナを別角度から。

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宝庫。ここにはおびただしい数の宝物が保管されていたそうです。ここに建っている石には、表面に宝石や金銀がちりばめられていた。
紀元前331年、かってペルシアにやられたマケドニアのアレキサンダー大王がやってきてペルセポリスを征服。
財宝を運び出すのに一万頭のロバと五千頭のラクダが必要だったそうです。そしてその後、宮殿は火に包まれて廃墟となった。

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これはペルシャ兵とメディア兵のレリーフ。ペルシャ兵の靴に三本の線が入っていて、アディダスだったと笑いを取るエリーさん。写真ではちょっと見えないかも。でもアディダスそのもの。

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ライオンと牛のレリーフ。牛は前年を、ライオンは新年の象徴だそうです。
写真に写っている石は白っぽいですが、実はここにあるほとんどの石は黒大理石。ホコリを被って白く見えるが、本当はライオンの目のところのように黒くて美しい。

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一番人気のアバダーナ階段のレリーフ。ここはペルシャの属国となった各国から使者が貢物を持ってくる様子が彫られており、それぞれの民族衣装を着て、独自の貢物を持ってくる様子がわかる。

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先頭で手を引くのがペルシア人。

全部で23の地方からの貢物を持った使者が彫られていて、東はインド、南はエチオピア、西はスクドリア(現在のトルコ)と、広大な帝国を築いていた。

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ライオンを貢物に持ってきたのはエラム(現在のイラン南西部)からの使者。

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これはインドからの使者。上半身裸で、天秤に香辛料を担いでいる。「今もこういう人はインドにいますよね」なんてエリーさんが失礼なことを言っていた。

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この写真の中に、このペルセポリスで唯一の女性の像がありますが、わかりますか?

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車輪の中央に小さく。これ本当に女の人?

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百柱の間。木造の百本の柱がある大きな部屋があって、そこへ各国からの使者を通してビビらせたそうです。
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これは石の柱の上で木(梁)を支えていた石。同じ物をテヘランの博物館の時に載せましたよ~。

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アルタクセルクセス2世王墓から見たペルセポリスの全体。

ペルセポリス。いやまったくすばらしい。

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2014年10月23日 (木)

シーラーズ(イラン)

ホテル→(徒歩)町歩き

今日の宿 アラビア語で読めませんが無理に英語読みすると hedayat だそうです。 ツイン 300000リアル(1200円)

***

Wi-Fiが使えなくて、もうブログ書けないなあと思いつつ、当局の監視を迂回するソフト(Freegate)のセッティングを手探りであれこれいじっていたら、やっとつながりました。どうもFreegateという言葉はNGワードで当局の監視に引かかるようで、その関連サイトが見えません。もともとこのソフトは中国当局の監視をかいくぐるためのソフトのようです。NGワードを今日二回も使ったので、またブログが書けなくなるかも。ササッと書きます。

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ホテルの屋上から見たシーラーズ。まわりを禿山(はげやま)に囲まれた小さな都市です。車が多い。

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キャリーム・ハーン城塞。

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入口の上にあるモザイクがあまりにもヘタウマで笑いました。これはあとで近代のお役所が付け足しんだろうと思います。

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中の様子。

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王様にヨーロッパの使節が謁見した様子が再現されているのだと思います。説明はアラビア文字だけなのでよくわかりません。きれいなお姉さんガイドが入口にいて、「ご案内しましょうか?」なんて聞かれたので、頼めばよかったと後悔。

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庭。

続いて今度はハンマーム・ヴァキール。ハンマームとは今で言う銭湯みたいなものですね。

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番台で入場料を払います。

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これは湯船ではないようですが、説明がないのでわかりません。ちゃんと入場料を取るのに。

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腰布をはいたまま垢すりをしたんでしょうか。どうよくわかりません。

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女の人が何かの儀式をしている様子らしい。

ここのハマームの再現は、なんだかよくわかりませんでした。

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続きまして、マジェスデ・ヴァキール。毎日こういうモスクをブログで見てると飽きませんか。ほら~、飽きてきたでしょ。現実に毎日見てる本人はもっと飽きます。世界遺産を毎日見るというのは、京都、奈良、京都、奈良、と毎日行ってるようなものなんです。たまには歌舞伎町にも行きたいけど、イランにはそういうとこはないみたい。

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中の様子。

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バザール。この中で道に迷って二時間ほどさまよいました。お腹は空けど食い物屋はなし。しかたなくバナナ三本食べました。

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マドラセイェ・ハーン(神学校)の中庭。

今日も一日歩いて歩いて観光しました。イランの弱点というか中東の弱点は食い物が口に合わないこと。私はケバブ系統が苦手。できれば、ご飯ものが食べたい。どこかに売ってはいるはずなんですが、捜せど捜せどみつけられず。

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スパゲッティがみつかっただけでも運がいい日です。これだけでは足りないので、結局また例のカレーコロッケもどきの入ったホットドッグを食べておきました。

明日はペルセポリスです。

明後日から、旅に出たいきさつなど、旅のまとめ的なことも書いていきます。一日の分量が多くなってしまいますが、よろしくお願いします。

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2014年10月22日 (水)

旅の終わりのお知らせ(ヤズド・イラン)

世界一周の旅を11月12日、タイのバンコクで終了することにしました。
もともとの計画では、来年の5月までかかって、アジア、オセアニアをまわる予定でした。

まだまだ気力も体力もあり、行きたい場所もたくさんあります。しかしながら、一年五か月にわたる旅を続けた今、正直に言うと、新しい町へ行ってもそれほど感動しない自分に気づきました。

あれこれ考えた結果、今回の旅はいったん終わりにして日本に帰り、また働いて、ふたたび時が来たらまた旅に出ることにしました。次は一年なんて長旅は考えていません。
長くても一か月程度の旅を何年にもわたって繰り返していけたらいいなと考えています。

今、残りのアジア、オセアニアを一気呵成にやっつけてしまえば、その楽しみはなくなってしまいます。ここは楽しみをあとに残して、今回の旅を終わらせるのがいいという結論に達しました。

ただ、最後に滞在型の旅を少ししたいと考えています。バンコクのあとすぐに日本に帰るのではなく、1~2か月の間、滞在型の旅をしてから日本に帰ります。
場所はまだ確定ではないし、ブログも書きません。観光もせず、ゆっくりとしてリフレッシュしてから日本へ帰ります。

もう十分リフレッシュしとるやないか、ブログは日本に着くまで続けろ、というご意見もあるかと思いますが、ブログがあるとなると、また一生懸命観光をしてしまいます。
ブログを書くのは楽しみでしたし、ブログゆえに充実した旅となりました。観光も大好きです。でも、最後にブログを書かない旅というものも体験してから帰りたいと思います。いかがわしい事をしようというのではありませんよ。念のため。

11月12日までは可能なかぎり毎日ブログを書きますので、あと少しお付き合いください。日々の観光と一緒に、旅の総括的なことも書いていきます。

*** ここからはいつものブログ

ホテル→(徒歩)アミール・チャグマーグのタキーイエ→アーテシュキャデ→ドウラト・アーバート庭園→バザール→アレキサンダーの牢獄→ホテル→(ここからは予定)バスターミナル→(夜行バス)シーラーズ

今日の宿 バス泊

***

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宿の朝食。こういうシンプルなものがとても美味しい。同室のウクライナからきた青年とお喋りしながら食べましたよ。
彼は2年前に日本を旅したと言うので、「福島原発のことは心配しなかったの?」と聞いたら、なんと彼はチェルノブイリのすぐ近くの町で育ったそうです。

「日本で安宿を捜すのは大変だってでしょ?」と聞いたら、東京ではカプセルホテルに泊まって、あんなホテル初めてでおもしろかったと言う。僕もお酒を飲み過ぎて電車がなくなって何度か泊まったことがあるよ、と言うと、「へえ~、でも東京のカプセルホテルには酔っ払いはいなかったよ」だって。

彼曰く、あんなに景色が美しくて人が親切な国はない。道を聞くと、英語はわからなくても、みんな携帯で地図を調べて案内してくれる、だって。大好きなのでまた来年来るそうです。

ついでに書いておきますが、彼が日本に来た時、1ドルが60円だったって言うんです。それ聞いてムチャクチャむかついた。今110円ぐらいでしょ。
私、一年で390万使ったって書いたけど、2年前の為替だったら212万円。アベノミクスのおかげで今海外旅行してる人はえらい損しとる。でも、60円なんて時あったかな?

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宿のすぐ近くに観光案内所があるので、お姉さんから情報収集。写真をお願いしたら、かしこまってしまいましたが、笑顔がきれいなお姉さんでしたよ。

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今日も土壁の街並みを歩いて観光。

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アミール・チャグマーグ広場にある噴水。

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なんか変なものがあった。時々見かけるので、観光案内所のお姉さんによると、お祭りの時に使うものらしいです。

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遠くに見えるのはアミール・チャグマーグと言って、寺院とバザールの複合施設だそうです。

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アーテシュキャデ。ゾロアスター教(拝火教)の寺院。ゾロアスター教は紀元前6世紀ごろからの宗教で、イスラム教やキリスト教よりもはるかに古く、イスラム教が台頭するまではこのあたりで広く信仰されていた。

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建物の上のエンブレム。ゾロアスター教は鳥葬(鳥に遺体を食べてもらう)で有名で、この町の郊外にもその場所(沈黙の塔)がある(もちろん今は鳥葬はやってない)。恐ろしいので行きませんけど。

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建物の中ではガラス越しに火が燃えていた。まさに拝火教。他に何もなかった。

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ドウラト・アーバート庭園。

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真ん中の塔は風を取り入れるための塔だそうです。

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中の噴水に写ったステンドグラス。

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外壁の塔。

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バザールでござーる!いろんな店の人が遊んであげるよ~と手招きするが、わしゃ今日は忙しいの。また今度。

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これは街中の普通の家にある風取りの塔。こうやって風を家に入れるという昔の人の知恵ですね。形は違えど、これは中東のあちこちで見ます。

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そして最後はアレクサンダーの牢獄と言われる場所。伝説によるとそうらしいけど、牢屋のようなものはなかった。

今夕方で、ホテルでブログを書いています。これからターミナルへ行き、夜行バスでイランでの最終滞在地のシーラーズ へ向かいます。

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2014年10月21日 (火)

エスファハーンからヤズドへ(イラン)

エスファハーンのホステル→(バス)北ターミナル→(バス 8:30発 ADL社110000リアル440円 5時間乗車)ヤズド→(乗合タクシー)130000リアル520円→ホテル→町歩き

今日の宿 Kohan Hotel  ドミ  350000リアル(1400円)

***

まずは昨日の続きから。

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午後から1時間ほど歩いて、スィー・オ・セ橋を見に行った。橋のたもとで、写真を撮っていたら、「昨日、あなたがバスに乗っているのを見たよ」と、おっさんが話かけてきた。

ちょっと話をしてもいいかと言うので、川べりのベンチでお喋り。そのおっさんは、新聞などに紀行文などを書くライターだそうで、イランではけっこう名の知れた人らしい。

そいでもって、「家族は?」から始まって、どこを「旅行した?」などと、質問攻め。なぜか知らないが、自分が書いた記事の日本語訳を持っていて、パソコンを開けてそれを見せてくれた。

途中から、世界の各地でロケしたアカバ(Akaba)とかいうドキュメンタリーフィルムを見せてくれて、あれこれ解説。一時間ほど付き合ったが、飽きたので、もう行くよと告げると、これから市内を案内したい、よかったら家へ来て一緒に映画みないか?今日忙しければ、明日案内する、などど言う。

昨日から、こんな人ばっかり。きっと悪い人ではなくて、単におもてなしの気持ちから言っているのだと思うけど、こっちは何か気持ち悪い。

人と親しくなるスピードは人それぞれだけど、私はそんなに急に仲良くなれない。イラン人の人との距離感は近すぎる。もっと、そっとしておいてくれ~。

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この橋は車が通らないので、上も下も市民の憩いの場になっている。

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川沿いを歩いて、別の橋(チューヒー橋)まで行った。どうして川に水がないかというと、一つには雨が降らいないから水がないということもあるが、もう一つは地下鉄工事のために、せき止めているという。来月には水を流すそうです。

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スィー・オ・セ橋の夜景を見ていたら、若者二人が話しかけてきた。「ウエルカム・イラン」。一人の若者が、「イランをどう思う?」と聞くので、「どうって?」と聞き返したら、「例えばテロリストばかりがいる国だとか」なんて言う。

「核兵器をチラつかせる悪役大統領のならず者国家かと思っていたけど、みんな親切で驚いたよ」と言いたいのをこらえて、「みんな親切ですばらいい国だね」と答えておいた。イランのみんな~!もうちょっと距離をとってそっとしておいてくれ~。

***

さて今日はバスでヤズドへやってきました。5時間もバスに乗って440円って安すぎません?私、イランに来て400ドルをリアルに両替したんですが、まだ200ドル以上残っていて、どうしようかと。領収証がないとドルに再両替できないという噂も聞くので、どこかで豪遊せんといかんけど、食い物はまずいし、酒は売ってないし・・・。

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ヤズドのホテルに到着。なんと、旧市街の家々は全部土壁。レンガの上に、ワラを練り込んだ土が塗ってある。

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ホテルの二階から遠くを見たが、見渡す限り土壁の家々。

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今日のホテルは中庭に噴水があって、まわりに絨毯が敷かれた台が置いてある。みんなそこでだら~んとして本を読んだり、チャイを飲んだりしている。

普段だったらすぐに町歩きに出るが、美味そうなものを食っている人がいた。聞けばこのホテルで出す料理ということで、頼んでみた。

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ベジタブルスープの中に、豆と羊の肉を入れて煮込んだもの。スパイスが効いていて美味しかった。140000リアル(560円)。

夕暮れせまる町へ出動。

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マスジャデ・ジャーメ。14~15世紀の建築で、ミナレット(塔)はイランで一番高いそう。それがどうした。

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エイバーンの天井。最近、天井のピントバッチリでしょ。今のカメラは暗いところで撮るとボケるので、床に置いてセルフタイマーで撮るという方法を思いつきました。時々カメラを踏まれそうになるのが難点です。

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中庭。

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これは近くのバザール。写真に写っている人はみんな日本人ツアー客。流暢な日本語を喋る現地人ガイドが引率してました。

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これはさっきのモスクの中の礼拝所。説教壇があるだけ。

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晩飯を食うほどお腹は空いてないけど、今日まだ一食しか食べてないので何か食べておかないとと思っていたら、お菓子屋があったので、このマカロンもどきのものを3個買って食べた。マカロンよりもはるかに美味しい。

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もうちょっとお菓子を食べようと、ポテチを買ったら、トウガラシが効いていて、まずいのなんの。Maz Mazっていう名前どおり。たまらずそこらで遊んでいた子供にあげた。

今日はタクシーの運転手とクソガキしか遊んでくれなくて寂しかった。クソガキはどこの国でもたいてい、「ジャッキー・チェン!」と言ってカンフーのフリをしてくるだけなのでおもしろくない。

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2014年10月20日 (月)

イラン人のおもてなし(エスファハーン・イラン)

ホステル→(徒歩)ハシュト・ベヘシュト宮殿→エマーム広場→マスジェテ・ジャーメ→スイー・オ・セ橋→チュービー橋

今日の宿 Mihan Hostel トリプルを一人で 500000リアル(2000円) 連泊。

***

朝、宮殿の庭を歩いていたら、小学生ぐらいの女の子が寄ってきて英語で、「もしよかったら私たちと少しお話してもらえませんか?」

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「いいよ~」と言ってついていったら、その子と同じ年くらいの子が30人ぐらいと、先生と思われる女性が数人、芝生の上に敷物を敷いて朝ごはんを食べていた。

その子たちはこの町の学校に通う子たちで、今日は遠足だという。遠足で朝の8時に朝飯食うのはイランでは普通なのか?

仲間に入ったら、薄く焼いたパンに輪切りのきゅうり、トマト、チーズを乗せて巻いたものを「どうぞ」と言ってくれた。これが美味いのなんの。なんや、美味い物あるやん。一個食ったらもう一個食えとくれた。

それが終わると、砂糖菓子とチャイ。これが世に言うイランのおもてなしというやつか。
イラン人は旅人をもてなすのを美徳とするそうで、イランに行くと、飯をおごってくれたり、場合によっては泊めてくれたりすると聞いていた。

生徒は興味深々で、独身か?恋人は?と聞いてくる。でも全員が英語を喋れるわけではなく、プライベートの英語スクールに行っている数人の子だけだという。

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最後に記念撮影。もうイラン大好き。

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宮殿。そしたら今度はおっさんが現れて、「どこから来たの?」「家族は?」から始まってお喋り。挙げ句、「今日は仕事が休みだから、市内を案内してあげるよ」。

あんた絨毯屋じゃないやろうね、と思って聞いたところ、ミノとかいう外食店をやっているという。今日会った人に気軽に付いて行くなんて、と思って固辞。ここで付いて行って、最後は家でご飯なんてのがブログ的にはおもしろいんだろうけど・・・。

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エマーム広場へ行ったら、イランぽい人がいた。こういう服着た人もいるにはいるが、そんなに多くはない。

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今度は広場で、女子大生軍団が「ウエルカム・イスファハーン」と声をかけてきた。なんか急にモテ始めたぞ。あの~、どの子の家に泊めてもらえるんでしょうか、と期待したが、軽いお話しと写真だけでした。真ん中の手に腰をやっている子が話かけてきたけど、なかなか美人。イラン大好き。

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アーリー・ガープ宮殿。17世紀初めにアッバース一世が建築。入場料150000リアル(600円)。老朽化が激しく、あちこち修理中。

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最上階にある音楽堂。

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音楽堂の天井。余分な音を効果的に吸収するように装飾的な穴が空けてある。美しい。

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音楽堂の天窓。

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マジェスデ・エマーム。残念ながら逆光。外の建物は門で、その奥がモスクになっているが、門とモスクは斜め45度の関係。これはモスクをメッカに向かって建てて、わざとこういう配置にしてあるそうで、これが効果的なんだそう。入場料100000リアル(400円)。

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入口の門の天井。

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入ってすぐの場所。

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エイバーン(本堂)。イスラムのモスクは偶像禁止のため、中に像や絵があるわけでもなく、装飾があるだけで、がら~んとしている。向かって右に見える階段は登るための階段ではなく、説教壇。

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エイバーンの天井。

エマーム広場の見物を終えて、そこから30分ほど歩いて、マスジェデ・ジャーメへ。

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ここも逆光。入場料100000リアル(400円)。

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礼拝堂。「地球の~」によると、正面の装飾がすばらしいそうです。

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近くにあるバザール。丸い屋根がバザールの特徴だそうですが、こういう建物はだんだん姿を消しつつあるそう。まわりの建物を建て替えて鉄筋で同じような建物を建てていたので、ここも時間の問題か。

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これはピスタチオだそうです。もう一皮むくと、日本でも見かける皮付きピスタチオになる。

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今日の昼飯は無難にイラン式チーズバーガー。まず~い。値段は忘れた。

長くなりましたので、続きはまた明日。

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2014年10月19日 (日)

旅はまだ終わらない(エスファハーン・イラン)

テヘランのホテル→(地下鉄)Terminal-e-Jpnob→南バスターミナル→(9時発バス 150000リアル 600円 乗車6時間)エスファハーン→(北バスターミナル前から91番バスに乗車 5000リアル)エマーム・ホセイン広場→ホテル→町歩き

今日の宿 Mihan Hostel トリプルを一人で 500000リアル(2000円) Wi-Fi無料。
     行き方 エマーム・ホセイン広場を北に向かって30mほど行った左側

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***

エスファハーンにやってきました。昨日、旅で感動しなくなっと書いたところ、みなさんから励ましのコメントをいただき、ありがとうございました。

昨日の発言は撤回します。今日、エスファハーンへ来てエマーム広場へ行ったところ、いたく感動。やっぱり旅はいい。
正直に言うと、先にやりたいことができたので、一旦、ネパール、バンコクを経てオーストラリアへ向かいます。

でも、それが終わったら、また旅を続けようかと思っています。前言を撤回するのは毎度のことですが、そこからウズベキスタンに行くのもありかな。

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テヘランからこのバスに6時間乗ったのですが、それで600円とは安い。地下鉄が20円と、公共交通機関は安いです。まあ、タクシーではボラれてますけど。

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途中の景色はほとんどこんな感じ。本を読むには揺れすぎるので、ずっと飽きずに眺めていました。

エスファハーンに到着。バスターミナルから、91番のバスで市内へ。

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途中で昔の橋が見えた。スィー・オ・セ橋だと思います。

エマーム・ホセイン広場で降ろしてねと運転手さんに頼んでおいたら降ろしてくれた。降りて交差点を渡ったところにホステルがあって、聞いたらWi-Fiがあるというのでそこに決めた。
もう夕方でしたが、荷物を置いて出動。

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途中でお菓子屋があったので、二つだけ食べた。5000リアル(20円)。見てのとおりのグニャとした甘いお菓子でおいしかった。

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エマーム広場。こんな大きい広場は見たことがありません。かって、ヨーロッパから来た商人たちが、「世界の半分」と言って称えた広場。すばらしいです。

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広場をぐるりと囲む建物はお店になっている。

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そして、そこには今でも金物の打ち出しをする職人などが働いている。

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奥でお姉さんが陶器に絵付けをしていた。

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広場に面して建つマジェスデ・エマーム。17世紀の初頭にアッバース一世の命で建設されたイスラム教の寺院。今日はもう閉まっていたので詳しくはまた明日。

お店の前でイラン人の若い兄ちゃんから話かけられた。その兄ちゃんは、カウチサーフィンで、日本人の女の子を時々家に泊めるという。みんな英語がろくに話せないけど、あなたは上手だねなんて褒めてくれた。照れるなあ。ついでにワシもタダで泊めてくれ~。

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今日は、朝からお菓子のようなものしか食べてなくてお腹ペコペコ。自信はなかったけど、お店で地の物を食べてみた。
左の物はトウモロコシのスープかなと思うが、実態は不明。これは普通にまずかったが、なんとか完食。右の物は、スパゲッティのように見えるが、線香の臭いのような香辛料が入っていてお手上げ。ムチャクチャまずい。全部で120000リアル(480円)。ボラれたかな。

イランに来てから、イラン風ホットドッグかハンバーガーしか食べていないが、それくらいしか食える物がない。下手に手を出すとこういうことになる。

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まだお腹が空いていたので、揚げパンのようなものを食べた。中にハムのような物が入っていて、普通にまずかったが我慢して食べた。15000リアル(60円)

ここの食い物はあんまり美味しくないですが、やっぱり旅はいい。
まだまだ旅は終わらない。元気出して行くぞ~!

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2014年10月18日 (土)

旅の終わりを考えています。(イラン)

午前中はスイカを食べながら悩む→悩みを脱出して航空券を手配→バザール散歩

今日の宿 Amol Mazandaran Hotel ツイン 400000リアル(1600円) 連泊。

***

旅に出てから、約1年と5か月になろうとしています。当初は旅の期間は2年ぐらいかなと漠然と思っていて、来年の5月まで旅ができたらいいな、と考えていた。

ところが最近、モチベーションの低下が著しい自分に気づきました。
旅に出た頃は、飛行機に乗るだけでもワクワク。新しい町へ行けば緊張したり、興奮したりの連続でした。

ところが今は、飛行機に乗るのも面倒くさいし、新しい町に行っても緊張も興奮もない。旅が普通の日常になってしまった感じ。

その感覚は、ずいぶん前からあったが、それでも北米でノリちゃんに会うまではと思って旅を続けてきた。それが終わって中東に来てからはどこか気持ちが切れてしまったところがある。

そして、ここテヘランでビザ取りをしているうちに、もう中央アジアはいいかなと思うようになった。本当はここから、イラン→トルクメニスタン→ウズベキスタン→カザフスタン→キルギスへと行こうと思っていた。

シルクロードの町々は、長年あこがれてきた場所。でも、そこへ行くワクワク感よりも、ビザ取りや航空券を取るわずらわしさの方が大きく感じる。

旅をするうちに、今自分が一番やりたいことがはっきり見えてきて、そろそろそっちへ行きたいなという気持ちも大きい。

中央アジアの国々へ行くのは止めて、イランのあとはインド→ネパール→バンコクへと向かうことにしました。

正確にいつ終わるかは今の段階では確定していませんが、旅はまもなく終わろうとしています。
いつも読んでくださるみなさんにあてて、今の気持ちを正直に書いておきます。質問やご意見があれば、何なりと、早目にお寄せください。

***

夕方からバザールを散歩。ここのバザールは中東では最大規模だそうです。

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ここは布地やボタンなどを専門に扱うエリア。

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ここは靴を専門に扱うエリア。もういろんな種類の靴を売っている。

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これはナッツを味見するおばちゃん。

明日からはイランの国内をゆっくりと旅します。もうサマルカンドには行かんからね。

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